尾崎豊はチェルノブイリ原発事故をどう見たか

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尾崎

「I LOVE YOU」などの名曲で知られる
シンガーソングライターの尾崎豊は1992年4月25日
12時6分に26歳の若さで死亡しました。

突如謎の死を遂げ、自殺か他殺かそれとも事故死かと
多くのマスコミが幾度となくこの話題を取り上げています。


1999年発売のフライデーの記事に掲載されている写真を
見た限りでも、彼の右まぶたには拳で殴られたかのような
どす黒いあざがあり、確かにまともな状態ではなさそうです。


ところで、彼の死亡した日と1日違いで、年度は異なりますが、
1986年4月26日にチェルノブイリ原発事故
発生しました。

尾崎豊はこの時は丁度20歳でした。

彼がチェルノブイリ原発事故をどう見たのか
又、どう思ったのかについて
ちょっとだけ探ってみます・・・。


それが、1986年1月から彼は無期限の活動停止に
入ったどころか、何と1人でニューヨークに
行ってしまってたんですよね。

そして正式に帰って来たのは約1年後なんです。


って事はチェルノブイリ原発事故の時は
彼はニューヨークにいた
んです。

で、ニューヨークで彼がどういう生活をしていたのかを
知る人っていうのが少ないようなんです。


その後1988年に覚せい剤取締法違反で逮捕された事から
考えれば、もしかしたらニューヨークでそういうのを
覚えて来ちゃったんかなぁ、っていう憶測もありでしょうか。

同じ1988年の9月にリリースしたアルバム
街路樹」にもある「核・Core」という楽曲を聴けば
何となく覚せい剤をやりながら作ったようにも思えますし。


それでも彼はその後も一応まともに音楽活動を
やっていたのは間違いありません。


そんな中で彼はチェルノブイリ原発事故に
多少でも関連のあるコメントをしたのでしょうか?


「核・Core」の歌詞には

「反戦 反核 いったい何が出来るというの
小さな叫びが 聞こえないこの街で」

などとあり、彼が特に反戦や反核や反原発に
強い意欲があったような雰囲気はありません。


ただ、彼の残した別の作品の中で、もしかすると放射能汚染も
念頭に加えながら作られたのではないか?
と思われる楽曲があります。


それが2枚組アルバム「誕生」に収められている
COOKIE」です。

その歌詞には、大気汚染か放射能汚染を指す部分や
気候変動や平和への思い
なども一応示されています。

そして
急ぎ過ぎた世界の過ちを取り戻そう
とも記されています。


彼のこのような真っ当な思いを叶えられるよう
皆んなで何とかしていかなければなりません。

でも、その何とかするのがめっちゃ大変なんですよね。

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この記事の著者

能有羽生蘭渡

謎のレッサーパンダ

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